父が亡くなったあの日から、私の時間はそれまでとは全く違う速度で流れ始めました。長男として喪主を務めることになった私は、悲しみに浸る間もなく、葬儀という名の、経験したことのない巨大なタイムスケジュールに飲み込まれていきました。通夜の当日、私は午後三時に斎場に入りました。担当者の方との打ち合わせを終え、親戚たちが集まり始めると、私の役割は「挨拶」と「お酌」に集約されました。「この度は」「恐れ入ります」という言葉を、一体何百回繰り返したか覚えていません。午後六時に始まった通夜式は、まるで夢の中にいるようでした。焼香の煙の向こうに見える父の遺影だけが、非現実的な空間の中で、唯一の確かなものに感じられました。通夜振る舞いの席では、父の思い出話に涙ぐみながらも、ビール瓶を手に各テーブルを回りました。スケジュールは午後九時にお開きの予定でしたが、父を慕う多くの友人が残ってくださり、結局、すべての方をお見送りできたのは十時を過ぎていました。その夜、父の棺のそばでろうそくの番をしながら、私は翌日の告別式での挨拶の原稿を考えていましたが、疲労で頭が働かず、ただ時間だけが過ぎていきました。告別式の朝、私は寝不足の頭で、再び挨拶の言葉を組み立てようとしていました。午前十時の開式。弔辞を読んでくださった父の親友の言葉に、涙が止まらなくなりました。そして、いよいよ私の挨拶の番です。用意したメモはありましたが、参列してくださった方々の顔を見たとたん、言葉が詰まってしまいました。頭が真っ白になり、スケジュールは完全に停止しました。しかし、沈黙の後、私の口から出てきたのは、用意した言葉ではなく、父との他愛ない日常の思い出と、飾り気のない感謝の言葉でした。出棺の際、予定時刻を少し過ぎていましたが、誰もそれを咎める人はいませんでした。火葬場で、父が白い煙となって空に昇っていくのを見届けた時、私はようやく、この慌ただしい二日間の意味を理解したような気がしました。タイムスケジュールは、確かに儀式を滞りなく進めるためには必要です。しかし、それは決して、人の感情を縛るためのものではない。時に立ち止まり、時に涙し、時に言葉に詰まる。その予定調和ではない時間の中にこそ、故人を心から悼む、本当のお別れがあるのだと。父が最後に、身をもって教えてくれたのだと思います。