先日、子供の頃から可愛がってくれた叔父が、長い闘病の末に亡くなりました。私は親族として、通夜と告別式の両日に参列するため、慌てて準備を整えました。マナー本を読み返し、数珠、袱紗、黒いハンカチ、予備のストッキングと、リストアップされた持ち物は完璧に揃えたつもりでした。しかし、実際に二日間の葬儀を終えてみて、本当に私を助けてくれたのは、そうした形式的なアイテムとは少し違う、意外なものたちだったのです。まず、想像以上に役立ったのが、スマートフォンのモバイルバッテリーでした。親族は、他の親戚との連絡調整や、遠方から来る弔問客への道案内など、ひっきりなしに電話を使います。あっという間に電池が減っていく中で、いつでも充電できるという安心感は、精神的な余裕に繋がりました。次に重宝したのが、ポケットに入る小さなメモ帳とペンです。伯母である叔母は、悲しみと疲労で混乱しており、「〇〇さんに連絡して」「あれを買ってきて」といった頼まれごとを、矢継ぎ早にしてきました。それをその場でメモに取ることで、私は一つも忘れることなく、的確に動くことができました。そして、意外な助けとなったのが、数個ののど飴でした。斎場は乾燥しており、弔問客への挨拶で話し続けるうちに、喉がからからになってしまったのです。そんな時、そっと口に含んだ一粒の飴が、私の喉を潤し、心を落ち着かせてくれました。しかし、振り返ってみて、私が持っていて本当に良かった、最も大切な「持ち物」は、物理的なモノではありませんでした。それは、「何かお手伝いできることはありますか」と、叔母のそばへ行って声をかける、ほんの少しの勇気でした。そして、叔父との思い出を涙ながらに語る叔母の話を、ただ黙って頷きながら聞く「姿勢」でした。持ち物リストを完璧にこなすことも大切ですが、親族として本当に求められているのは、悲しみの淵にいる遺族の心に、そっと寄り添うことなのだと、叔父は最後に私に教えてくれたような気がします。
叔父の葬儀で私が本当に必要だった物